はぐれDJ道

2020年06月27日

第39回「ワープハウスおじさん(KITA)インタビュー」

イッツ・パーティ・タイム。DJイオだ。
最近、ピコカルで別の連載を行っている。
DJイオのワープハウスバカ一代」だ。過去に日本では、「ワープハウス」というムーブメントがあり、当時 20歳頃の多感な自分は御多分に洩れずはまってしまった。あれから 20年経ち、当時の情報がネットからも相当減っている。それを解説してアーカイブ化しようという連載だ。ツイッターをやっている方にはわかると思うが、ワープハウスで検索すると「ワープハウスおじさん」という人物が出て来る、DJ名は KITA という名前なのだが、自らジャンルの名前を名乗るとはどういう人物なのか。実は私の腐れ縁なのだが、これまでの DJ人生について話を聞いた。

注:文中、YO*C、YO-C と表記のブレがありますが、各個人の書き方を尊重し修正せず載せています




中高生の頃聴いた音楽

DJ イオ(以下、イオ) : それでは一番最初に聞きたいんだけど、KITA は中高生の頃、どういった音楽を聴いてた?

KITA: 中2 までは本当にほとんど音楽に興味がなかったんだけど、中2 の末くらいに、毎日夜更かししてる友達からオールナイトニッポンを教えてもらい。いろいろなパーソナリティ聞いてたんだけど、明らかに異質というかヤバさ全開だったのが・・・、我々の年代のご多分に漏れずの電気グルーヴで。

イオ: なるほど、じゃあラジオで知って、なんだこの音楽は!?みたいな感じ?

KITA: 最初から電気で入ったようなもんで、そのころその辺をいろいろあさってた。スチャダラ関連もきいてたし。

イオ: 色々聴いてるな・・・、周りに詳しい人いなかったから俺は全然ラジオ聴いてなかったよ・・・。

KITA: その時はテクノというよりまあ中2 なので、尖ってて面白い音楽の世界があるぞって感じで突き進んでまして。カルチャーの背景もまったくわからないのにデラソウルとかもきいてたな。

イオ: 最初に買った CD は覚えてる?

KITA: 最初に買った CD は時任三郎のリゲインのテーマだったような

イオ: リゲインのテーマ!

KITA: 当時のだんご三兄弟みたいなもんか・・・。




高知から上京まで

KITA: 90年代前半だもんな。まだ携帯はおろかネットもない。雑誌と電話のみ。

イオ: LOUD やエレキングは読んでた?

KITA: 高校卒業まで高知にいたので、その頃は LOUD もエレキングも無くて、なんかかき集めて情報欲しかったので、SHOP33(注:吉祥寺にあったテクノ関係のアンテナショップ。服やインディーズの CD、レコードを扱っていた)に手紙出したのよ。PATIPATI かなんかで卓球さんが来てた GIOGOI(注:マンチェスターのダンス・シーンを背景に持つファッション・レーベル)のウインドブレーカー欲しくて。

イオ: おお

KITA: 色鉛筆で書いてね。

イオ: 色鉛筆・・・。

KITA: それから何年も 33 からフライヤー送ってくれてたな。

イオ: いい店だったよね。

KITA: 高知で RISING HIGH のバッグとニットキャップ持ってたの多分自分だけだったか、居ても 2〜3人じゃないかな。

イオ: 確かに 90年代前半は圧倒的に絶対数が少ないイメージがある

KITA: その頃が高校生の時代で、電気だとフラッシュパパメンソールとかビタミンのころ・・・。そうだ、ロッテルダムテクノに激ハマりしたんだった

イオ: 意外!

KITA: あれは狂ったように聴いてたわ

イオ: GABBA は卓球さんのプッシュもあって CD も出てたよね。

KITA: そうそう。自分で買えた CD ってロッテルダムが最初かもしれない、テクノで

イオ: 原点はロッテルダムテクノ。

KITA: その後ハードフロアの黄色(TB RESUSTITATION)とかも欲しくて名古屋のメガミックスに電話して買ったりして。涙ぐましい努力。

イオ: それから上京してパーティにも行くようになった感じ?

KITA: 上京したのが 1996年、最初に行ったのがたしかお台場のナチュラルハイ。

イオ: 伝説のパーティ・・・、KITA が師匠としてる YO-C もそこで初めて聴いた感じだった?

KITA: 卓球さん目当てで言ったけど、TOBY さん、KENGO さんに、FORCE さんとかも出てて、砂原さんとかエルマロとかも出てたような。その時に衝撃を受けたのが YO*C さん。

イオ: おお

KITA: とにかくヤバかったというか、水鉄砲で踊ってる人打ってたし。あおりまくってた。その時から Natural Born Grooves の FORRUNNER かかってたな。NBG と言えばの。





Natural Born Grooves - Groovebird(Original Mix)





KITA: FORRUNNER じゃないけど NBG の曲、SHINKAWA さんの CD に入ってたような。

イオ: SHINKAWA さんのその頃の MixCD だと「STYLE」かな?

KITA: そうそう。




通ったパーティ

イオ: よく行くようになったパーティはいくつかあった?

KITA: その時の卓球さんの DJ よりも YO*C さんの DJ がガチっと自分に衝撃が来て、それからとにかくイベント探してフライヤーにワイオーシー(YO*C)って書いてあるイベント行きたい!ということで・・・すぐに行き始めたな X-TRA。

イオ: おお、じゃあもう初期の頃から通ってたんだね。

KITA: 他にも YO*C さんが出てたパーティは行きまくったんだけど、当時まだビビりだったし小箱にはなかなか行く勇気がなかったのよね。オオバコばっかり。

イオ: CLUB VENUS(外国人 DJ を呼びつつも、YO-C がレジデントだったパーティ)は行かなかった?確か YO-C がレジデントだったような。

KITA: CLUB VENUS は行ったねえ〜、というかリキッドルームで育ったようなもんだった。伝説の「Q'HEY 3500円」の回も行った。

イオ: 俺は行った記憶がないから X-TRA デビューだったのかな。昔の床がぐわんぐわんするリキッドルーム。(振動で床が軋んでた)

KITA: 7階まで平気で走って上がってたからな・・・。(注:90年代のリキッドルームは新宿コマ劇場の近辺にあり、7階まで階段で登らなければ行けなかった)

イオ: 今、7階まで行ってって言われたら結構きついな・・・。

KITA: エビアンで朝まで踊り狂っていた。お金使い果たして洗面所の水飲んでたし、そうしてる人結構いたな・・・、ワープハウスで一晩。

イオ: 今、水で朝までって言われたらきついけど、最初は本当に水しか飲まなかったな。洗面所もそうだし。




DJ初体験

イオ: DJ を始めたのはどんなタイミングでスタートしたの?

KITA: DJ は最初ホントに自宅でだけやろうと思ってアイワの 9,000円くらいのレコードプレーヤーと、べスタックスの中古タンテと、テクニクスの 2万円くらいのミキサー買って。大学入って相模原に住んでたから、国道 16号沿いにディスクユニオンがあって、テクノのアナログが徒歩圏内で買える!って高知では考えられない!流石東京!みたいな・・・。相模原だけど。

イオ: いやー近くにユニオンがあれば十分でしょう・・・。アイワのプレイヤーとか聞いた事ない!

KITA: まあそんな調子でやってたんだけど、YO*C さんの DJ は何が何だか見てもわからないけど、他の DJ は見てたらなんか自分でもできそうだと思うってお宅 DJ 始めて。アイワのはピッチ変えられないただのプレーヤーだったで、ベスタのほうだけで練習していた・・・。

イオ: 俺も最初はよくわからないメーカーのタンテ買って片方だけで練習してたな・・・。始めて DJ したパーティって覚えてる?

KITA: 幸いにも始めた 1996年の末にもうどこだったか誰が呼んでくれたか忘れちゃったんだけど、横浜の小さな箱の仲間内イベントで何故か友達が声かけてくれて初 DJ して。

イオ: おー!初めての割には記憶が薄い・・・。プレイしてたのは、その頃からもうワープハウス?

KITA: で、そのときに、盛り上げちゃったのよ!SUNDANCE かけて。ピッチ合わないのに!

イオ: 忘れられない一曲ってやつですな。

KITA: すでに SUNDANCE ゲットしてたから、ワープハウスとテクノのアナログは多分 100枚くらい?持ってたのかな。

イオ: じゃあもう十分 DJ できる枚数ではあるね。

KITA: 初 DJ のときにこれもかけたな。





Kadoc - You Got To Be There(Official Video)





イオ: 持ってない・・・。




KITA とイオの出会い

KITA: それで味をしめて、大学でテクノ部作っちゃって、大学内でゲリラレイヴを月 1回くらいやってた。

イオ: アザブテクノだね。KITA とはその頃知り合ったんだっけ?

KITA: そうそう 1998年くらい?

イオ: どのハコでどうやって会ったとか完全に忘れてしまった。

KITA: イオとは多分第 3食堂(注:イオは神奈川某大学の第 3食堂を貸し切ってパーティを行っていた)だったな。

イオ: 学祭の時だっけ?遊びに来てくれたの?

KITA: 町田のユニオンかどっかで第 3食堂のフライヤー見つけて、いきなり行ったんだよ。誰も知り合い居ないけど突撃。

イオ: すごい行動力だ。

KITA: 第 3食堂内でも全く知らないやつが来ててあれ誰の知り合い?みたいな空気をビシビシ感じていた。

イオ: 他校の人がいきなり来てくれるとは思ってなくてびっくりしたのかな・・・。

KITA: ボ、ボ、ボク KITA と言います!アサブダイガクってところでササササークルやってます!みたいに話したと思う。

イオ: それがきっかけかー!1998年だと丁度ワープハウスって単語が浸透してきた頃かなー・・・。

KITA: で、1999年に自分の学園祭で YO*C さんに出てもらうんだけど・・・、その時期に KAZUO 君、BEPPU 君の ZERO-ONE があったりで、ワープハウス界隈がつながりができてきつつでイオとかも絡むことが増えたんだよね。

イオ: ああ!なんか思い出してきた!

KITA: ちなみに YO*C さんと初めて話したのは渋谷の HARLEM。




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KITA: 当時売れっ子 DJ の YO*C さんと絡める!ってことではなくて、美容師ナイトが学生イベントやるので公募してたからミックステープ送ったのよ。

イオ: おおお。これ、本名がモロに出てますな。

KITA: そしたら選考で通って。実は、Mix の内容よりも、1曲目にレオパルドン入れててそれが主催の人がえらい気に入ったっていう・・・。

イオ: レオパルドンのどの曲?演説するやつ?

KITA: 「ぶっ潰してやる ぶっ潰してやる」ってあったっけ?

イオ: 「ゼロ装置」ですな。

KITA: 偶然に偶然重なって、で、フライヤー見るまでゲスト YO*C さんって知らなかったっていう。なので、YO*C さんと知り合ったのもある意味レオパルドンのおかげとも言える・・・、かもしれない・・・。

イオ: すごいきっかけだ・・・。

KITA: そんときに、BEAT PER LOVE のアナログにサインしてもらったんだよ。

イオ: おお、そこから長い縁が・・・。




プレイスタイル

イオ: 当時プレイする時は、どんなプレイを心がけてた?

KITA: もう電気の時代から直結だけど、ワープハウスというか YO*C チルドレン一直線で。まあイオは十分知ってるけど BPM 135-150 くらいの。ここでまあ本題のワープハウスの解釈が出て来る。

イオ: 大体は知ってるけど、ワープハウス調べてると知らない曲が山ほどある。

KITA: これ自分は昔から言ってるんだけど、当時ワープハウスって 2つの意味があったように思ってて。

イオ: うん。

KITA: ひとつは、レーベルというか、アーティスト単位でのワープハウス。TONY DE VIT が提唱して日本独自のジャンルとして速くてアホアホで盛り上げる UK・EU ハードハウスの総称。代表が TIDYTRAX とか DUTYFREE とか、HOOJ とか REACT とかも含まれるし、まあレーベルは山のようにあった。

イオ: うん。

KITA: そっちは単純にわかりやすかったし、ワープハウスのレーベルってことで追っていけるんだけど、当時ワープハウスのパーティでも、結構テクノもかかってたと思うのよ。GROOVEYARD の「WATCH ME NOW」も。





Grooveyard - Watch Me Now || EC Records - 1995





イオ: Juggernaut なんかも YO-C はよくかけてたよね





Daz Saund & Ben Tisdall - Juggernaut(MISSILE 022)





KITA: そうだし、プラネットリズムとかもかかってたし、アダムベイヤーとかもかかってたしね。まあ YO*C さんがそのスタイルの代表だった。





R.N.D. Technologies - Ultrafilter EP - Ultrafilter






Circle City - Moments Of Inertia(Original Mix)





KITA: これなんかも全然ワープハウスじゃないんだけど、ワープハウスのパーティで平気でかかっていたし。石野卓球のテクノ専門学校に入ってた曲。結構日本独自というか、色々なジャンルで展開作ってわびさびじゃないけど、DJ ミックスの醍醐味みたいな世界がワープハウスにはあったと思うのよ。

イオ: なるほど。

KITA: 当時から、海外の DJ が来日して聴きにいっても、結構一本調子というか、同じ感じでずーっとやる DJ も多かったし。ハウスの人は展開作る印象があったけど。

イオ: 海外の DJ は、割と淡々とやってる印象が強い。Carl Cox とか。

KITA: だから、ワープハウスって、日本独自の DJ スタイルっていう側面もあったんじゃないかなあってのが、2つ目の解釈で、自分の解釈でもある。

イオ: 色んなジャンルも含んでるっていう。

KITA: KAGAMI さんの曲も、テクノだけどワープハウス的だったし。

イオ: BPM が近くて極端に遠い所にいなければかけてた印象があるなー

KITA: テクノもハウスもハードハウスもディスコもハードコアも、ゴリゴリのミニマルもつながったらOKみたいな、YO*C さんスタイルに憧れて DJ してた人たくさんいたしね。

イオ: 確かに多かった。




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KITA: 自分は完全にワープハウスは DJ スタイルだと思ってるので、「STYLE」ってミックス CD シリーズなんて「なるほど!そうだよね!」としか。

イオ: YO-C の「STYLE」は凄く自由にやってる印象があるなー

KITA: ラビットシティとかの 90年代前半ハードコア・レイヴとかはいわゆるジャンルとしての「ワープハウス」には含まれないけど、血眼になって探してた DJ 結構いたしね。





Force Mass Motion - Sub Sonix(ESCAPE E.P. - Rabbit City 007)





イオ: めっちゃ探しましたわ。今でも YO-C さん「どこで買ったの?」みたいな曲多いし。

KITA: XL の初期もワープハウスじゃないけどワープハウスだし。





Dome Patrol - The Cutting Edge(1993)





イオ: 今聞いてもあんまり古びないよね。





Jonny L - Ooh I Like It(Original Sin)





KITA: これ、全然ジャンルとしてのワープハウスじゃないじゃんってはずなんだけど、ワープハウスどっぷり漬かった人間としては「ワープハウス」だもの。

イオ: そうだね、今でも JONNY L たまにかける。

KITA: まあ、CAMISRA とか SUNDANCE とか、あと SCORCCIO とかももちろんワープハウスだし。





FRICTION 2000(SCORCCIO HOT EDIT) / KORNHOLIO





イオ: MARK SUMMERS オタだから SCORCCIO めっちゃかけた。





JS16 Stomp To My Beat(Radio Edit)






Sundance(Original Version)-Sundance






Ultimate Heights - Disco High(Scorccio Hot Vox Mix)






Camisra - Feel the Beat(Original Mix)





イオ: パーティ名にもなった SUNDANCE。

KITA: Mrs.WOOD も Rachel Auburn(レイチェル・オーバーン) もワープハウスだし。





Mrs. Wood - Joanna(Original Version)






Mrs.WOOD - Heartbreak(Vocal 12" Mix)





KITA: PIANOMAN だってワープハウスなので。





Pianoman - Party People(live your life be free) Original Mix





イオ: これはワープハウスでしょう。

KITA: これだけはちゃめちゃに選曲してもハッピーな統一感があるがあるジャンルって他にあんまないと思うのよね。




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イオ: これは持ってないな。

KITA: ダブマスターX さんも、この時期はワープハウスだったし。

イオ: 作り的にはハウスだしそうだよね。

KITA: これ PUFFY と松田聖子のハードハウス。

イオ: 聴いた事はあるんだよなー。





Casino - Only You





KITA: BPM 126位の歌ものハウスも YO*C さんが 145位でかけたらワープハウスだし。

イオ: 終盤のアンセムですな。




東京から再び高知へ

イオ: 何年頃まで東京で活動してたんだっけ?

KITA: そうそう、2008年まで東京。脱線し過ぎた。

イオ: トランスブームが終わって暫く経ったぐらいの時かな。

KITA: まだ UK ハードハウスはあった時期だね。BOOTEK とかのアナログ出てたし。Scouse!TOKYO 始めたのが 2007年4月だったし。
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1999〜2001年 学園祭RAVE SUNDANCE!
     2006年 FUNKYDARGO!
     2011年 Scouse!TOKYO
     2018年 MarbleBox
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Scouse と MarbleBox は「休止中」ではあるんだけど。


イオ: X-TRAIN は?

KITA: いまは年1回。YO*C さんのバースデーバッシュ。今年はコロナでやんなかったけど来年は開催したいな。BEPPU 君サマサマです。

イオ: 遊びに行くから是非やって欲しい。

KITA: まあ今ワープハウスガンガンかかるパーティはもしかしたら X-TRAIN かもしれない。

イオ: YO-C も SHINKAWA も出てるし間違いないでしょう。地元(高知)に帰った時、DJ どうしようかなーとかは思った?

KITA: 2008〜 2009年はカフェドブルーという地元の箱の厚意で DJ させてもらってたのよ。その後仕事独立して 2009年から一気にできなくなって、もう終わりかなと思ってた時期が 3〜4年続いた。

イオ: なるほど。でもそこから復活したと。

KITA: その時期も、Scouse!TOKYO とかベップ君の声掛けもらって東京で年 2〜3回DJはしてたんだけど。

イオ: 俺も地元より東京のが多いからなんかわかる気がする・・・。(注:イオは現在茨城在住)

KITA: まあ年 2〜3回だし普段は全くやらないしで結構澱んでたね。しかも地元では BPM 速いとお客さんついてこれないのでかなり落としてかけてた。

イオ: そうなのか。

KITA: いまでも地元では 130 くらいで DJ することが多い。よっぽどぶっとばすぜ!くらいの時じゃないと 140位まで上げられない。

イオ: なるほど・・・。

KITA: なので地元ではワープハウスじゃなくてハウス中心なのよね。

イオ: お客さんの様子を見つつ BPM 上げてって感じだね。

KITA: まあ 130位のレイヴとかはかける

イオ: 昔のレイヴは遅いしね。

KITA: 130 でも速いって言われることがある・・・、地元向けの DJ と遠征でブチアゲハードハウス DJ では完全に別人だね。

イオ: えええ!!出てるのはハウスのパーティ?

KITA: なので、地元ではハウスと、オールジャンルだね。イオに来てもらっった ONZO がオールジャンル的な内容が多いので

イオ: 好き放題にさせてもらった記憶があるな・・・。

KITA: それこそ Greatest Hits(注:イオが出した REMIX アルバム)とかいまだにかけまくるし。ワープハウスはたまに BPM 落としてかけてるくらい。

イオ: あれは大体 130 ちょいで作ったからなー。




これからの活動

イオ: これから地元をどうしていきたいか、等活動予定などはある?

KITA: 高知はクラブカルチャーが数年前までかなり盛んだったけど、ここ 2〜3年で正直下がってきてるのはあって、しかもコロナ・・・、これはまあ全世界的にだろうけど・・・、クラブカルチャーは危機なので。

イオ: 東京でもたくさんハコが潰れて見てるだけできつかった・・・。

KITA: 復権ののろしをあげたい箱はあるだろうし、自分が協力できることはしていくんだけど、オーガナイズはなかなか難しいので、地元だと ONZO、カフェドブルー。新しくできる pondskater って箱とか、いくつか友好関係がある場所に協力していきたいってのはあるね。

イオ: なるほど。

KITA: いま主催して 100人以上お客さんに来てもらって、みたいなことは状況的にきついと思うんだけど、クラブカルチャーが好きな人はいつの時代にもいるはずで、大きなムーブメントじゃなくても、楽しめる場所が残るように手伝えたらっって感じかな。優等生的発言だけど、まあホントに本音だね。で、できれば BPM が速い音楽も生き残りたいっていう。25年やったので、そう簡単にやめられん。

イオ: 規模が小さくなっても好きな人はいるし、残る所は残るだろうし。そこから新しい火種が上がったらいいね。25年は長い。

KITA: いまトレッキートラックスの人 twitter とか見てもワープハウス再評価してるとかあるし、世代問わず楽しい音って需要あると思うし。

イオ: 最近 Seimei 君がワープハウスの Mix 作ってたね。











KITA: あの系の音は他になかなかないから、続けてればまたなんか楽しいことあると思うけどね。

イオ: 絶対需要はあると思うんだよなぁ。

KITA: まあ、自分がその場に居られるかどうかは正直わからんけど、BEPPU 君とかデパちゃん(DJ DEPATH)とかがまだ声かけてくれるので、warphouse will never die の精神で。

イオ: いいことですな。

KITA: いやマジで、曲作ってなくて DJ だけでまだ生き残って活動させてもらってるのは奇跡よ。まあ辞めるつもりがないってのもあるけど。

イオ: KITA を呼べば楽しい!って思ってくれる人がいるって事でしょう。

KITA: 根本的にワープハウスじゃなかったら続いてなかったと思うし。テクノの DJ だったら・・・、まあー続いてないね、確実に・・・。

イオ: ウーム

KITA: そういう意味では、YO*C さんもそうだし、イオや BEPPU 君ををはじめ生き残りの仲間(残党)をはじめ・・・、あとレオパルドン・・・のおかげ。

イオ: なるほど。

イオ: 聞きたい事を結構聞けたので、KITA からこれは話ときたいって事はある?




最後に

KITA: ワープハウスってくくりだと、代表的なのが TALL PAUL や TONY DE VIT になるけど、ワープハウスの全部の元祖は WESTBAMでWIZARD OF THE SONIC だと自分は思ってます!みたいな。解釈次第だけどね。





Westbam vs Red Jerry - Wizards Of The Sonic(Matt Darey Remix)





イオ: なるほど、ありがとう。WIZARD OF THE SONIC 最近かけてなかった!

KITA: ということで、高知から楽しい DJ しに県をまたぎますので、これを読んだオーガナイザーの人是非声かけてください!という宣伝で〆る。

イオ: ありがとう。

KITA: 先月の Shimamura 君の配信でも WIZARD OF THE SONIC かけて大盛り上がりだった。

イオ: 良い事だ。

KITA: 不滅不朽の名曲今後もかけていこう 俺たちのワープハウス演歌

イオ: ワープハウス演歌・・・。

KITA: まさに 90年代のダンクラ、ハードダンス演歌。




如何だったであろうか。久しぶりにインタビューを行ったので最後に好きなジブリ作品を聞くのを忘れてしまった。
まぁ必ず必要なものでもないのでいいだろう。人に歴史あり。WARPHOUSE に歴史あり。ビート・ゴーズ・オン。



posted by DJイオ at 11:00| 第26回〜第50回